子ども英会話教室 Seedling Englishの日記

Seedling Englishは墨田区京島、下町にある小さな子ども英会話教室です。 英語を学ぶのではなく、【英語で学ぶ】をコンセプトに 子ども達が楽しい英語教室を目指してがんばってます。 日々のクラスの様子や、お知らせ等、発信していきます。

ちょっと恥ずかしいけど、自分のバックグラウンドを書いてみました。

こんにちは、墨田区曳舟にある子ども英会話教室Seedling Englishの三井田です。

 

英語教室をオープンして早いもので、約半年が過ぎました。

 

その間、色々な保護者の方とお話しさせていただく中、よく聞かれる質問が、なぜ英語教室を始めたのか。


今日は自己紹介も含めて、自分のバックグラウンドと、英語教育に対する考えや、教室の方針を書こうと思います。

 

プロフィール
名前: 三井田香奈
生年月日: 1981年4月2日
出身地: 岡山県
趣味: 読書 スノーボード

 

 

幼少期〜学生時代

小学生の頃は、ダンス、水泳、シンクロナイズドスイミング、町内会のポートボール 等々、習っていました。
好きだった遊びは、レゴ、缶けり、川で魚釣り、山を探検、アクティブな少女時代を過ごしました。

 

中学、高校はテニス部に所属
日焼け止めも塗らず、真っ黒に日焼けしていました。

 

大学は小学生の頃から続けていたダンスの影響で、地元にある音大のダンス専攻に入学
アルバイトをしては、ダンスのレッスン代につぎ込む生活をしていました。
アルバイトではフィットネスクラブのインストラクター、子どもへの水泳指導、マクドナルド、コンビニ、キャンプ場のスタッフ、等々
面白いと思うこと、自分に出来ることは何でもしました。
その中でも、子どもへの水泳指導の経験は今の仕事の基礎となる部分が培われたと思っています。

 

東京生活

大学卒業後、仕事を求め東京へ上京
アルバイトをしながら、ダンス教室へ通い、オーデションを受ける生活。
そんな中、自宅近くにフィットネスクラブがオープンすることを聞きつけました。
高校〜大学まで、岡山で過ごしたフィットネスクラブでの楽しかった思い出が蘇ると共に、その経験が活かせると思い、オープニングスタッフとして働き始めました。
この時23才。
今思えば、若かったな〜と恥ずかしく思うことも沢山ありましたが、沢山の出会いがあって、多くのことを学びました。

この頃、エアロビクスの養成に通い、資格取得。
フリーランスのインストラクターとしても指導を始めていました。

 

そこに友人から、あるフィットネスクラブが社員を募集しているんだけど、興味はないかというお誘いが
その当時、フィットネスにのめり込んでいた自分
正直、アルバイトとして働くのに物足りなさを感じていました。

とりあえず面接を受けてみよう。

 

そして、採用が決まり、生まれて初めて就職したのが、六本木にある某高級フィットネスクラブでした。

 

初めての就職と人生を変える出会い

そこでの毎日は、ある意味穏やかで、ゆっくりした時間が流れていました。
訪れる人はテレビに出てるような有名人や、政治家、大企業の社長さんも多く、ここでも沢山の出会いから様々なことを学びました。

六本木という立地もあり、お客様の2-3割は外国人でした。
私はグループレッスンを担当していたのですが、レッスンの蓋を開けたら全員外国人なんてこともありました。
前、後ろ、右、左、
必要に迫られ、そんな簡単な英語から学び始めてました。

そして、ここで、私の運命を変える二つの出会いがありました。

 

一つ目の出会い

カルロスゴーンさんとの出会い
ある日、上司から、今日はビッグネームが入ってるからよろしくと言われ、予約表を見ると、あの、カルロスゴーンさんの名前が
いつも担当する先輩のピンチヒッターでパーソナルストレッチを担当することになったのです。
その後、いくつかの偶然が重なり、毎週末のご指名をいただけるようになり、会社を退社してから、妊娠前までプライペートでパーソナルトレーニングを担当させてもらいました。
ゴーンさんとはレッスンをしながら色々な話をしました。
恋話、悩み相談、時に美味しいレストランに連れて行ってもらったり。
そして、ビジネスに関しても沢山の言葉をかけてもらいました。
今になって、あ〜、そういうことかぁ〜と思うことが沢山あります。
本当に沢山の学びをいただきました。

 

二つ目の出会い

中国人 Yさんとの出会い。
Yさんは、いつも私のレッスンに参加してくれるお客様の1人でした。
Yさんは中国人で、学生時代にニュージーランドに移民し、ドイツ人男性と結婚して、旦那様の仕事で日本に滞在中という、4ヶ国語を操るインターナショナルな方。
日本語を勉強中だったYさんは、私を練習相手に丁度良いと思ったのか、フィーリングが合ったのか、本当に仲良くしてくれました。
Yさんは、私がまだ海外に1度も行ったことがないと聞くと、本当に驚いて、あなたは絶対に海外に行くべきだと何度も伝えてくれました。
英語が話せることで広がる世界を伝え、肩を押してくれたのはYさんでした。

そして、27才
仕事を辞めて、単身オーストラリアへ飛び立ちました。

 

オーストラリア時代

それはそれは、毎日が楽しくて、どこを切り取っても、全てが充実した10ヶ月でした。
憧れだった美しいビーチを歩きながら学校に通って、おんぼろだけど、海まで徒歩1分のコンドミニアムで、1部屋女子3人のビンボー共同生活。
毎日少しずつ英語が喋れるようになっていく実感があって、アメリカンドラマのフレンズを見ては、今日はこの英語を使ってみよう!と、毎日がインプットとアウトプットの繰り返しでした。
文法を間違っていても気にしない、通じることが嬉しくて、毎日色々な人とおしゃべりしていました。

 

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そして、ある日、ビーチを歩きながら、
会社での評価や、狭い業界で通用する知識、自分は狭い世界で生きていて、ちっぽけな価値観にしばられていたことに気がついた時、オーストラリアに来て本当に良かったと実感したのでした。

 


帰国後

フィットネスの総合メディア企業に就職しました。
フィットネス業界に戻るかどうか、悩んでいました。
新しい知識を吸収したい、フィットネスは好きだから、その経験も活かしたい。
そんな中でたまたま見つけたのが、フィットネス関連の雑誌を出版している会社でした。
イーコマース、出版、営業、一通りのことをやりました。
この頃、PhotoshopIllustrator等、デザインソフトの使い方を勉強しました。
それが、なんと、今役に立っているので、感謝ですね。

 


岡山に帰る

その電話は突然でした。
母にステージ4のガンがみつかったと。
母からの願いで実家の岡山に帰ることを決めました。
この時、主人とお付き合いを始めて約2ヶ月。
同時に遠距離恋愛もスタートしました。
30才

母の闘病を支えながら、学生時代にお世話になっていたフィットネスクラブで、またアルバイトを始めました。
母の仕事は水泳のコーチでした。
母が辞めた穴に、私が入って、また子どもの水泳指導の日々。
暫くの間は、OOちゃんって知ってる〜とか言いながら、母と話すのが日課でした。
あの頃は、ただただ、母に笑ってほしかったのを覚えています。

母の抗がん剤治療も効いて、体調が安定した頃、母から、もう東京に戻っていいよ、自分の人生を自由に生きなさいと。

そして、東京に戻ることを決めました。

 


二度目の東京生活

東京に引っ越しと同時に同棲生活をスタートしました。
就職する前に長期で海外に行こうと思い立ち、オーストラリア時代に韓国の友達が話していたフィリピン留学を思い出し、チャレンジしてみることにしました。

 


フィリピン留学

初めてのフィリピン留学、マンツーマンレッスンが5時間、グループレッスンが3時間、1日合計8時間
1週間でオーストラリアに住んでいた頃のレベルまで戻ったなと感じました。
あとは、流れに身を任せて2ヶ月。
とても楽しい時間でした。

 

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帰国後、英語を使った仕事を始めようと就職活動を始めた矢先
なんと、妊娠が発覚。
そのまま就職することなく妊婦となりした。

 

妊娠期間、仕事もなく、家でゆっくり過ごす日々。
正直、生まれてこの方、ゆっくり過ごしたことはありませんでした。

いてもたってもいられなくなって、何かやらなければ、何かやりたい‼︎と、勉強を始めたのが、小学生英語指導者資格(J-SHINE)取得の勉強です。
http://www.j-shine.org/

最終的には、出産後に講習を受けて、2014年7月に、無事に資格を取得しました。

 

 

出産と初めての育児

初めての育児に奮闘する日々。
産後は大田区から主人の実家がある墨田区に引っ越して、新しい生活を始めました。
友達もいない中、児童館や子育て広場、あらゆる場所に出かけ、気の合うママ友達に出会え、楽しい1年間でした。

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時は戻って、妊娠期間中。
実は、私のセブ留学を見聞きしていた主人は、自分も行ってみたいと、出産前に仕事を辞めて、単身2ヶ月のフィリピン留学へ。
元々、海外で就職したいと言っていた彼、その当時27歳。
私も初めてのオーストラリア留学は27歳でした。
27歳の自分と重ね合わせて、子どもがいるから諦めてとは言えませんでした。
だったら、一緒に楽しもう、本当に困ったら、日本に帰ってまた仕事頑張れば、なんとかなる‼︎

そして、息子が1歳になると同時に、フィリピンのセブ島へ移住しました。

 

 

フィリピンに家族移住

家族3人フィリピンでの生活が始まりました。
主人は語学学校の現地採用枠で仕事をし、私は、自分の興味が赴くままに、親子留学のサポートをするエージェントを立ち上げました。
特に、現地のプリスクールやインターナショナルスクールの情報が不足していたので、その情報を集めました。
気になる学校に足を運び、自分の目で見て周りました。

 

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息子もプリスクールに通い始めました。
といっても1日2時間程(笑)
フィリピンのプリスクールは日本の習い事に近い感じで、親子一緒に学校に行って、一緒に活動をしていました。

 

シュタイナー教育の学校

とても素敵な学校でした。

小さな学校ですが、緑に囲まれていて、真ん中にはマンゴーの大きな木があって、そこからブランコがぶら下がっています。

 

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そして、砂場。
日本では各公園に砂場があって、当たり前の存在ですが、そもそも公園のないフィリピンでは、砂場はまるで砂漠の中のオアシスのようでした。
しかし、残念なことに、学校に色々問題があることがわかり、転校することを決めました。


モンテッソーリ教育の学校

その後、通い始めたモンテッソーリ教育の学校は、整理整頓されていて、良い学校でした。

息子は、2才になった頃。
モンテッソーリ教育で言われるお仕事をもくもくとこなしていました。
集中してお仕事に取り組む姿は、私の心を動かすと共に、現在まで続く興味の出発点になりました。

 

プレイグループ

学校とは別に、週に2回程、習い事のような感覚で参加していたプレイクラスがありました。

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アメリカのカリキュラムを導入していて、アート、音楽、身体を動かすこと、バランスの取れたレッスンが気に入っていました。
そして、そこで出会ったのが、ティーチャーチェリーでした。

 


次男の妊娠〜帰国

フィリピンに移住してから、1年が過ぎた頃、第二子を妊娠しました。
出産をフィリピンでするのか、日本でするのか、迷いました。
もちろん、安産ならばフィリピンで問題ないけれど、何かあった時のことを考えると、日本での出産のほうが安心だと思い、日本で出産することを決めました。

 

そして、帰国。

 

次男を出産し、日本での生活が始まりました。

 

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日本に戻ってみると、フィリピンでの生活がすごく緊張した日々だったことに気がつきました。
そして、戻ると思っていたフィリピン生活ではなく、日本での生活を選択しました。

 

英語を話しはじめていた長男は、あっという間に英語を忘れ、私が英語を喋ると怒り出す始末。


そんな姿を見て、日本で、ごく自然に、楽しく、英語教育をしたいな〜
そんな気持ちが芽生えていました。

だったら、自分ではじめてみたら?
主人が言った言葉がきっかけで、どんな英語教育をするか、考える日々が続きました。

そして、出した答えは、フィリピンのプリスクールに通って楽しかった経験をぎゅっとまとめたカリキュラムでした。

そこから、どの先生を日本に呼ぶか、どんなカリキュラムにするか、具体的な行動に移りました。
ティーチャーチェリーにコンタクトし、駄目元でビザを自力で申請。
あらゆる本を読み漁りました。

そうして、実現したのが、Seedling Englishです。

 

長くなってしまったので、英語教室のコンセプトは次回に続きます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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Seedling English は、下町にある小さな英語教室です。

英語を学ぶのではなく、【英語で学ぶ】をコンセプトに

子ども達が楽しい英語教室を目指してがんばってます。

 

seedlingenglish.com

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